好きなことを知っている人は、しあわせ

好きなことを知れば幸せになれる。好きなことが分からないと幸せになるのは難しい    

やはり精神医学は沼だった

この意味での沼と言う表現は使わない人のほうが多いのかもしれませんが、外から見ると小さな沼が実際には非常に深かったり、泥沼に足を取られて動けなくなることから、深みにはまってしまうことを沼にはまると言うようです。(オタク言葉とか若者ことばでしょうか)


4月から放送大学の「精神疾患とその治療(学部学生向け)」「精神医学特論(大学院科目)」という二つのラジオ番組を聴いています。非常に面白い内容なのですが、どうしても脇道のような部分が気になってしまいます。特に自分の場合は中途半端な知識がある話題もあるので、なおさら色々な疑問が浮かんできます。

 

 

例えば次のような内容です。

 

脳を外科的に手術するロボトミーは廃止された。
一方、てんかんの場合は手術による治療は行われている。
それは精神医学の管轄外と言えるのか?

 

大学院の講義のほうで紹介されていた遺伝子多型の話。
患者さんの遺伝子を調べるのに、血液は必要?
どんな設備で解析したのか。
1990年代当時は、精神科医の臨床と統合失調症の生物学的研究を一人で兼ねていた人もいたのだろうけど、やはり臨床医と基礎研究は分業化するのが自然だろうか。

 

べてるの家も担当講師の石丸教授もキリスト教との関りを公表している。
このことは普段はあまり意識されませんが、何かトラブルが起きた時に、日本でのマイノリティとしてのキリスト教の存在が意識されることはある。

 

映画ビューティフルマインドのモデルとなった数学者(ゲーム理論で有名)、ジョンナッシュは2015年、夫人とともにタクシー事故で死亡。この事故を伝えるネットニュースの中には、映画のことも「歴史修正主義との批判もある」という記述も。個人的には、ビューティフルマインドは精神医学における「理想の患者象」が強く反映されていると感じました(映画館で公開当時に見たので記憶は曖昧ですが)。

 

べてるの家とビューティフルマインドのエピソードの語り方から何となく示唆される、石丸教授が考える「望ましい患者象」。もしも、この先生と深くかかわることがあったら、「望ましい患者象」に関する違和感が大きくなるかも。

 

強制入院を精神疾患の病識(患者本人が病気と言う認識持っているか)と関連付けて正当化するのは、話を単純化するための方便という気もする。

 

 精神医学は資格のためと割り切って勉強する人にとっては、医学の一分野に過ぎないのでしょうが、変に好奇心を持ち始めると、やはり沼のような分野だなと思います。今回は関連図書などは、あまり読まずに、ラジオ放送に集中したいと思っています。