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虎に翼、寅子の娘、優未が大学院を中退する

もう終盤に突入したNHKの朝ドラ

 虎に翼
今日は2024年、9月12日で、残りはわずか11回ほど。
このドラマ、途中までは非常に良かったのですが、終盤は明らかにエピソードを詰め込み過ぎです。


寅子(伊藤沙莉)の娘、優未(子役から何人も交代して今は、川床明日香が演じています)


先週まで高校生で毎田暖乃が演じていた優未は今週月曜日には大学生になり川床明日香に交代、ナレーションで寄生虫の研究をしていることが明かされます。
主人公の娘なのに、これまで大学進学に関する描写は一切なく、いきなり寄生虫を研究する大学生に。女性の大学進学自体に珍しかった時代に、理系の、しかも寄生虫学という専門を選びます。こうした珍しい選択をした理由を説明する場面が一切ないわけです。
寅子のモデル、三淵嘉子さんの息子が寄生虫の研究をしていたという、ドラマの外の世界の出来事に、優未の選択の根拠を求めるしかありません。
しかし、その場合は、寄生虫の研究をつづけた三淵嘉子さんの息子を描くのではなくて、大学院を中退する寅子の娘を描くことになった理由が気になります。

 

 エピソードとエピソードという点と点をつなぐことで物語が生まれます。
今回の優未のエピソードのように1点を示すだけなら、様々な解釈が可能になります。
それが良いとか、それが狙いという意見もありえますが、現実には、1つのエピソードから得られる解釈は連想ゲームに近く、多くの場合的外れなものです。(例えば研究業績を横取りされたとかライバルに先を越されたと言った解釈も可能ですが、それは可能性の一つにすぎず、多くの場合正解ではありません)
一方、なぜ優未が寄生虫に興味をいだき、どんな大学に進学して、研究にどのように取り組んでいたのかが描かれていれば、大学院を中退すると言う時でも、優未が抱える事情や悩み、気持ちなどが理解できたのかもしれません。
これは意外と大切なところで、人の刹那的な感情は、その場にいれば分かるかもしれませんが、相手を本当に理解しようとすれば、その人の物語を理解できないと難しいと思います。

 

今回気になった点をもう一つ。女性が大学院を中退するという場合、直接的にはガラスの天井を示唆するエピソードを入れたかったのかもしれません。そして女性に限ったことではありませんが、深刻なオーバードクターの問題も。博士課程に進学するような優秀な人材の多くを日本社会が活かせていないという問題は長年続いています。
一方アスペルガー的な視点では、寄生虫学という優未の好きなことと経済的な価値を生み出すことの間にギャップが生じているような気もします。


自分が好きなこと、楽しいこと、いわば小さな物語を満たすこと。一方経済的な価値のあること、社会から望まれること、こちらは大きな物語の一部になって、大きな物語のなかで役割を果たすこと。


若い時には、小さな物語と大きな物語の間にある乖離を自覚することが出来ずに苦しむことが多いと思います。(当時は寄生虫学は社会的な要望の多い学問だったのかもしれませんが、便宜的に、面白いけれども社会からの需要は乏しい学問とみなしています)
 小さな物語と大きな物語のギャップを埋めようとして、結局はアスペルガーの一番病とも言われるような現実離れした空想にとらわれるようになる可能性も。


 全てが順風満帆の時は、自分を中心に世界が回っているという幻想の中で生きるのもありかもしれません。しかし現実を突きつけられる時に、自分らしさとか自分らしい物語を自覚していることが大切になると思います。

 

朝ドラ「虎に翼」の話に戻ると、優未が好きなことを諦めるのなら、そのことを、もっと丁寧に描いてほしかったと思います。