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「盲目的」辞書ごとに異なる説明

日大アメフット部の声明文に使われていた「盲目的」と言う単語。声明に対する評価とか感想とは別に、こういう文章にふさわしい言葉なのか疑問に思った人もいるのではないでしょうか。そこで図書館の参考図書コーナーにあった数冊の辞書を調べてみました。

 

今回の声明文と同じ意味が書かれていたのが新明解国語辞典
「当面する事態を批判的・客観的に見ることが全く出来ないままに行動する様子」となっています。新明解国語辞典を根拠とすれば、今回の声明での使い方は、全く問題ない表現です。

 

こうしたケースで引用されることの多い広辞苑では「感情に引きずられて、理性を失い分別を欠くさま」と少しニュアンスの異なる説明になっています。

 

一方、明鏡国語辞典では「理性を失い、適切な判断が出来ないこと。」と言う説明の後に、「視力障害を比喩として使う差別的な言い方。」となっています。
個人的な判断は別として、今回、多くの人が気にしていた部分だと思います。

 

また通常の辞書とは異なりますが、共同通信社の「記者ハンドブック 新聞用字用語集」(一部の図書館では辞書などと一緒に置かれています)には、「もう 盲」という単語の注釈として次のように書かれています。

 

不快用語的な表現とされる「盲愛」「盲従」「盲目的」は、「溺愛」「何も分らずに従う」「むやみに」などと言い換える

 

(盲目、盲点、盲腸、盲導犬などは使用可能)


こうして何冊かの辞書の説明を見てみると、非常に微妙な表現という気がします。
ヤフーニュースで検索しても、今回の記事以外で、「盲目的」と言う表現を使っているのは、記者以外のコメントを引用したり外国語から翻訳した記事が大部分のようです。

 

以上、備忘録的なメモとして記録しておきます。