ナラティブセラピーとオープンダイアローグ
ドラマ「海のはじまり」のネタバレを含みます
月9ドラマ「海のはじまり」では、水季(古川琴音)は実質的にはパートナー月岡夏(目黒蓮)との対話を拒否して、一人で子どもを産みます。
このエピソードを見て、心理療法(精神療法)のオープンダイアローグとナラティブセラピーが思い浮かびました。
オープンダイアローグは日本語に訳すと、開かれた(オープン)、対話(ダイアローグ)。通常精神疾患の治療として行われるので、患者本人と家族、場合によっては水季にとっての夏のような親しいパートナーや友人、そして医療者側からは精神科医や看護師、心理師などが参加して、開かれた対話を行い問題解決を目指す心理療法です。日本では、ひきこもりの研究で有名な「斎藤環」による紹介、解説、研究が有名です。
ドラマ「海のはじまり」の水季のケースでは、水季が一人で病院に行って決めるのではなくて、水季、母親の南雲朱音(大竹しのぶ)、夏、病院側からは産婦人科医や助産師、看護師などが参加して、話し合いの機会、対話の場を持つという感じでしょうか。水季が一方的にしゃべっておしまいではなくて、夏や、水季の母親(朱音 大竹しのぶ)、医療関係者の考えも、ちゃんと話して対話(ダイアローグ)が成り立つことが重要です。
皮肉っぽい言い方をすると、理想と現実のギャップを一番感じる精神療法(心理療法)かもしれません。患者本人が良ければいいとか、当事者の勝手とか言う逃げ道が許されないというか。日本で言うなら、人と人のつながりが密な地方(田舎)の人間関係が暗黙の内に前提とされているような気がします。(オープンダイアローグは、フィンランドの自然豊かな場所にある精神科病院、ケロプタス病院で始まりました)
オープンダイアローグが現実的には難しい時に、どのような選択をして決断をするのが良いのかが、現実には問題になることもありそうです。
余談、蛇足ですが、現代では医学部の教授になるような精神科医は、生物学的な精神医学を専門とする人が大部分をしめます。斎藤環のような精神分析・心理学・社会学系統が専門の人が国立大学の医学部教授になるのは非常に珍しいケース。マルクス研究の斎藤幸平が東大の准教授になったのと同様、特例に近いと思います。
一方ナラティブセラピーは日本語に直訳すると物語療法、「もの語り」の語るという部分を強調すると「語り療法」とも訳せそうです。
これは一言で言うと、自分が納得できる物語をセラピストと一緒に探していくというもの。「海のはじまり」では、水季はマイペースで我が道を行くタイプなので、セラピーを受けてもあまり変わらないかもしれません。しかし、中絶した過去を抱えて生きる弥生(有村架純)にとっては、ナラティブセラピーは意味があるかもしれません。弥生(有村架純)を呪い苦しめるような物語ではなくて、どこか救いのあるような物語を、セラピストと一緒に探していくわけです。(実際のナラティブセラピーは、単に新しい物語を探すと言うよりも、もっと具体的な問題の解決を目指すことが多いようですが)この場合は、オープンダイアローグのように社会との妥協を目指すのではなくて、社会の呪縛からの解放を目指すことになります。中絶に対して非常にネガティブな意見を持つ人はいますが、それを弥生(有村架純)が受け入れる、内面化する必要がないことを、納得するプロセスになるかもしれません。
ナラティブセラピーには、斎藤環のようなスーパースター級の専門家はいないので、色々な分野の専門家によって、細々と研究・実践が続けられています。(精神科医や心理学者、内容的に社会学にも近いので社学者や福祉の専門家など、変わったところではアトピー性皮膚炎の患者にナラティブセラピーを取り入れた皮膚科医も)ナラティブセラピー全体にはついていけいないけれど、部分的には役立つテクニックが含まれていると考えている精神科医や心理師もいるようです。
ナラティブセラピーはオープンダイアローグの源流の一つとか、オープンダイアローグの元になったセラピーとも言われています。しかし、現在ではナラティブセラピーとオープンダイアローグは対照的な立ち位置にあるとも言えそうです。
(ナラティブセラピーのリフレクティングというテクニックを応用したのが、オープンダイアローグと言う見方もあります。ナラティブセラピーは用語の使い方が特殊なので「ナラティブセラピー リフレクティング」のようにセットで用語を検索してください)