10月18日に公開された映画「楽園」を見てきました。
出演は綾野剛、杉咲花、佐藤浩市、柄本明。
ネタバレあり。
サスペンスとかミステリーの要素もありますが、トラウマとの向き合い方がテーマだと思って見たほうが良い内容かもしれません。
冷静に考えると、あの人が犯人だろうと思いつつも、実際に接した印象からは、犯罪を犯すような人とは信じられない。そんな葛藤を描いた作品。映画を見た人の多くも最後まで、そういう印象を持つと思います。
具体的には、綾野剛演じる豪士は真犯人ではないかもと映画を見ている時は思います。しかし制作者側の公式見解のようなものだと、やはり彼が犯人のようで。理性と感情のギャップを意図的に作り上げる、そういうタイプの作品。
映画の後半では、佐藤浩市演じる善次郎が中心人物に。それ以前の事件と直接的な因果関係はないけれども、憎しみが連鎖するように次の悲劇へとつながります。こちらは犯行にいたるプロセスが克明に描かれています。普通の人、良い人が過ちを犯すことなんて別に不思議なことではないと言いたげに。
事件の近くにいて当惑する人物を杉咲花が好演。彼女に感情移入することで、映画を見た人も、普通のドラマとは違った視点で事件を眺めることになります。
エンディングに流れる主題歌「一縷」(歌 上白石萌音)
この曲は一見救済や希望を表しているように見えます。しかし実際には、この映画の世界に欠落していたものを歌っているように思います。実際の出来事を扱ったドキュメンタリー番組では、当事者から少し距離を置いて客観的な視点を持った支援者(医師であったり弁護士であったり福祉の専門家など)が登場します。映画の主題歌「一縷」も、少し距離を置いて客観性をもって当事者に寄り添う視点に立っています。しかし、この映画の舞台となった集落では、そうした人物が入り込む余地がありません。疑心暗鬼になる当事者だけで展開される世界。そんな集落が息苦しくて東京に移り住んだとしても、新しいつながりを作れずに孤立する姿を描いています。この映画の世界が楽園になりえなかった理由を歌う主題歌。それが映画の「もやもやとした印象」を、さらに強めています。
もやもやした点を、もう一つ。
失踪した女の子と、後の杉咲花を演じる二人の子役。
雰囲気的には失踪した女の子の方が杉咲花に近く、ここでも理性と感情のギャップを感じました。