好きなことを知っている人は、しあわせ

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アフガニスタンの診療所から 中村哲

 


 

長年、アフガニスタンでの支援活動を続けているペシャワール会中村哲医師。
初期の活動を中村医師自身が紹介しています。(1993年出版)

 

この本の舞台は、30年ほど前のパキスタンアフガニスタン。日本ではバブル景気の絶頂とバブル崩壊を経験し、PKO活動によって自衛隊が本格的に海外での活動を始めた時期です。国際的には、ベルリンの壁崩壊やソ連の消滅、湾岸戦争などが起こった時期。そういった歴史に大きな影響を与えた出来事の1つがソ連(旧ソビエト)によるアフガニスタン侵攻。

 

当時、中村医師はアフガニスタンの隣国、パキスタンハンセン病(らい)の診療所で医療支援を行っていました。当時、マスコミではハンセン病と言う名称が使われ始めていたものの、正式名称は、らい(癩)と呼ばれていた時期とのこと。中村医師がハンセン病を選んだ理由は、現地の医師の邪魔にならず、支援が行き届いていない病気だったから、とのこと。日本でのハンセン病は差別と隔離の歴史のように語られることが多いのかもしれません。一方、この本では、病気の進行が放置されがちで、治療にも根気が必要な生活習慣病のように描かれています。早期に適切な治療が行われなかったために、手足の指を失ったり、ALSのように気管切開にいたる患者も。ハンセン病に関する生々しい描写が印象的。重症化すると足に穴が開いてしまう患者も多いハンセン病。患者のための靴を工夫し普及させようとするエピソードには、中村医師の個性が良く現れています。

 

ソ連軍がアフガニスタンから撤退すると、ペシャワール会アフガニスタンにも診療所を作ることに。そこで直面するのは現地の人々の激しい反米感情。「アメリカはソ連を弱体化するためにアフガニスタンを利用しただけだ」と言う怒りを、肌で感じることになります。

 

本書を通して、一貫しているのは「短期的な成果を求めるのではなくて、継続的な支援を目指すこと」「日本での宣伝や資金集めが主目的のような本末転倒の事態に陥らずに、現地の役に立つことを続けていくこと。」

 

この本は図書館の中高生向け書籍の本棚に置かれていました。実際の中高生にとっては難しい内容のためか、25年経っても意外と綺麗な状態でした。当時を知る40代以上の人にとっては分かりやすく示唆に富む内容だと思います。

 

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