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認めたくないけれど2ch(5ch) 今週のお題「私の癒やし」

今週のお題「私の癒やし」

 

癒しと言う言葉を最初に使ったのは上田紀行と言う話を思い出したので、図書館で探すと昔読んだ記憶のある「癒しの時代をひらく(上田紀行)」と言う本がありました。出版は20年以上前ですが、廃棄されることもなく保存庫送りにもならずに、普通に本棚においてありました。今週のお題は水曜日まで(木曜日更新)なので、それまでに読み終われば感想などを書いてみたいと思います。

 

ともあれ、癒しとは1980年代後半に使われだした言葉で、バブル景気の時期からバブル崩壊阪神淡路大震災オウム真理教問題が起こったあたりに、多くの日本人が抱いていた、生きづらさに対して、自分らしい生き方を取り戻す行為として注目されたようです。オウム真理教と言う、決して少なくない人々を魅了した一方で破滅的な結末を迎えた過激な処方箋に対して、多くの人が受け入れ可能で日本社会との摩擦も少ないタイプの処方箋が癒しと呼ばれていたようです。


何となく、このお題を考えた「はてなスタッフ」への嫌味みたいになってきましたが・・・

 

さて、こうした文脈で癒しを考える時、人間関係で心を癒せる人と癒せない人に大きく分かれると思います。小学校のころの記憶はありませんが、中学、高校になると休み時間や放課後などに楽しそうにお喋りをする「クラスの女子」たちの姿が印象的で今でも記憶に残っています。当時は何が楽しいんだろうと不思議に思い、そんな私の姿を気持ち悪いと思ってた人も多かったと思います。今考えると、学校の授業と言う空気を読んだ集団行動が求められる時間の後で、自分の感情を大切にする、お喋りで心を癒していたと言えるでしょう。こうした経験を重ねる中で一部の人は、自分の心を癒すコツ、相手の心を癒すコツみたいなものを会得、体得していくのだと思います。

 

相手(話を聞いている人)に、それほど負担をかけずに自分の心を癒す方法。
例えば毒舌(悪口)のさじ加減など

 

ちょうど良い話し相手の見つけ方や人間関係を維持する方法など

 

一方話し相手にされる人(聞き手)の場合は、適度に聞き流す方法を学んでいくのでしょう。相手は討論したいわけではなく、ストレス解消の癒しを求めていると、男子には理解しにくいけど多くの女子には当然とも言えることを学んでいくのでしょう。聞き役ばかりやらされる人は、無理に心を癒すよりも体を癒すことで回復する方法を学んでいくのだと思います。

 

こうした癒しのガールズトークとも言える様な営みがある一方、そうしたものが苦手な人も多くいます。私も苦手な人間の一人。少数派と多数派で言えば、多数派なのかもしれません。

 

そんな私の癒しは認めたくはないのですが2ch(現在の5ch)
色々なSNSが登場した現在、2chの一番の特徴は、いいねボタンがないこと。
プラスとかマイナスのボタンもありません。感想はボタンを押すのではなくて文字で書き込まなければいけません。

 

また現在でも匿名掲示板なのも貴重です。かつての何を書いても逮捕されないと言う無法地帯ではなく、法律を犯さない限り匿名という状態は、ある程度の秩序と程よい自由さをもたらすと思います。

 

頭のおかしい人間と比較的まともな人間が同じ場(バーチャルな空間ですが)に共存しているのも現実社会に似ていて良いと最近では思います(かつては、本当に頭のおかしい人に粘着されたこともありましたが)

 

2chには誰かの受け売りの極端な思想に染まった人たちが群れをなしている場所と言うイメージがあり、実際そういう場所も多くあると思います。


しかし、その一方で、まったりとお喋りできる場所もあったりします。匿名だし、いいねもつかないので、自分の気持ちに正直になれるような気がします。


そういう場所は癒しの場と認めても良いと思います。頭のおかしい人が群れをなす場所は嫌ですが、変な人でも居心地が良くて居ついてしまう場所は悪くないと思います。そんな場所で「癒しのおじさんトーク」が繰り広げられてるので、今では時代遅れみたいになっている匿名掲示板には、おじさんたちの隠れ家として地味に続いて欲しいと思います。