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居場所に必要なもの

先日(7月21日)、「居場所のちから」というセミナー(講演会)に行きました。
講師は、川崎市で子どもたちの「居場所づくり」に取り組んできた西野博之さん。


不登校になった子ども、貧困家庭で苦しんでいる子ども、知的障害、発達障害精神障害などのある子どもなどが、居場所を見つけることで、立ち直り、成長していく様子を、聴くことが出来ました。居場所(フリースペース)が、川崎市子ども夢パークという公園の中にある点も、子どもたちにとっては好都合なようです。

 

以下、個人的な感想です。
居場所の一番の役割は、子どもたちが安心できる場所を提供すること。(学びや成長の場になるのは、その次の話)しかし、安心できる場所というのは単なる休息の場所とは違うようです。(単なる休息の場所なら、一人で家にいてもいいような気もします)
そこに良好なコミュニケーションかレクリエーションが生まれることが、良い居場所のためには必要でしょう。

 

 病院に入院している時でも、そこで有意義なコミュニケーションやレクリエーションが生まれると仮の場所ではあっても、居場所っぽくなります。しかし看護婦さんとの最低限のやり取り以外、誰とも話さずに治療に専念しているときは、ずっと居てはいけない場所にいるような気になります。

 

家に引きこもっている人の場合でも、引きこもっている場所が居場所になっていて、ある種の安心感を与えているのか。それとも家にさえ居場所がない状態なのかで、状況は大きく異なると思います。PC、スマホタブレットを活用して、それなりの居場所を作っている人もいれば、そうした居場所すら持てない人もいるでしょう。

 

 

居場所に必要なのは、コミュニケーションとレクリエーション。しかし、この二つは必要条件であって十分条件ではないと思います。ただ建物だけ用意して、子どもを集めても「安心できる居場所」にはならないような気がします。学校の休み時間に例えると、校庭全部を使って、一部の子どもたちが思いっきりドッジボールボールをやってるような状態になってしまうかもしれません。(例えが分かりにくいかもしれませんが・・・)元気よく楽しんでいる子はいるんだけど、いつボールをぶつけられるか分からずに、怯えている子もすくなくない。スタッフも適度に参加したり、遊び方を教えたりして、平和なキャッチボールや休み時間のバレーボールが出来るように導くことも必要でしょう。

 

似たようなことは文字通りのボール遊びだけではなくて、コミュニケーションにも当てはまると思います。相手にボールをぶつけるようなドッジボールではなくて、ボールのやり取りを楽しむ「会話のキャッチボール」が成り立つように、自然と導いていくのが居場所スタッフの役割かもしれません。具体的には、子どもたちが話しかけると、一つ一つ、きちんと答えてくれるスタッフの存在が必要になるでしょう。子どもが多すぎると不可能ですし、スタッフにも向き不向きがあると思います。

 

今回の公演を聞いて思ったのは、「ドッジボールをキャッチボールにする努力」が居場所づくりの肝のような気がします。(強引かつ分かりにくい例えですが)
匿名掲示板の「5ちゃんねる(2ちゃんねる)」でも、会話のキャッチボールを楽しもうと思う人たちの溜まり場になれば居場所に近い性質を持つでしょう。一方、立派な建物を与えられても、皆が自分のことだけを考えているのであれば、アパートの個室を借りるほうがマシかもしれません。

 

居場所が魅力的な一方で、居場所づくりは意外と難しいかもしれないと思ったりもしました。