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建築家 池原義郎早大名誉教授死去

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大学には色々な専門の先生がいますが、建築家は少し特別という気がします。1990年代の早稲田大学で、そんな特別な存在だったのが、亡くなられた池原義郎教授。

 

一般には西武球場の設計者として有名ですが、大学内では所沢キャンバスの校舎を設計した人として有名でした。当時の西早稲田キャンパス(現在の早稲田キャンパス)や戸山キャンパスに通学していた人には記憶に無いかもしれませんが、早稲田(高田馬場)から遠く離れた所沢キャンパスに通っていた自分にとっては、池原教授の設計した校舎には色々な思い出があります。(ちなみに西武球場と所沢キャンバスは直線距離では近いのですが、公共交通機関を使って移動しようとするとバスと電車を乗り継いでいく必要があり、かなり不便でした)

 

所沢キャンパスの校舎は丘陵地の地形を活かしつつ、細長い建物をつなげたような作りで、学校の校舎としては非常にユニークな作りです。大学の場合、講義が終わるたびに頻繁に教室を移動するのですが、建物と言えば四角い箱のようなものという固定観念が染み付いている学生や教員にとって、所沢キャンパスは迷路のようとか、迷子になると評判は散々でした。

 

さらに校舎に対する不満が頂点に達する出来事もありました。
壁のコンクリートにひび割れが多発して、ついに雨漏りするようになってしまいました。当時学内のサークルが発行していた学生向けの同人誌には、学生の取材に応じて釈明するコメントが掲載されていました。(現在は、きちんと補修されているはずです)

 

しかし今振り返ると、良い点も沢山ある校舎だった思います。


まずロビーを兼ねてるような広すぎる廊下。当時はサークル用の部室がない代わりに、広い廊下に、ついたてと椅子、テーブルを置いて、サークル用のスペースにしていました。閉鎖的だった昔の学生会館と比べて非常にオープンな雰囲気でした。

 

また丘陵地に立てられているので正面から入らなくても、あちこちから出入りできたり、当時は屋上に上がれたりして、気持ちに余裕がある時には面白い校舎でした。

 

また校舎の周囲に、陸上競技場、野球場、体育館、50メートルプールがコンパクトに配置されていること。バス停と校舎の間の通学路では、一般の学生よりも早く登校してきた陸上部の部員達が朝のトレーニングをしていて、一般の学生の気分も盛り上がってたような気もします。(箱根駅伝などで活躍している時は特に、)

 

なにより良かったと思うのは、所沢の校舎は、教室と教室、食堂、図書館、スポーツ施設などの移動の際に、学生達をかき混ぜて、出会いを演出する人間交差点の役割を果たしていたこと。それも知らない人同士の大都会のスクランブル交差点ではなくて、見覚えのある人とすれ違う近所の交差点。居場所が無いと疎外感を感じる人がいる一方で、色々な人と顔見知りになれる面白い空間だったと思います。インターネット上の空間で似たような考えの人ばかり集まってしまうと言われている現在、学生同士を適度にかき混ぜる校舎は便利さ以上の何かを与えてくれるのではないかと思います。

 

直接教わったことも面識もない先生に言いたい放題書いてしまったことをお詫びするとともに、お悔やみ申し上げます。